こんにちは、みやびとの橋口です。
記念すべきVol.001は、スタイリストとファッションデザイナーの2刀流で世界を駆ける、
坂田 洸奨(さかた こうしょう)さんです。
京都の専門学校を卒業し、フランス・セネガル・日本を経て、
唯一無二の表現を追い続けています。
「宮崎から世界へ」を体現する彼が語る、“挑戦のリアル”をうかがいました。
目次
- 専門学校でつかんだ自信と、フランスで知った現実
- 語学勉強で訪れたセネガル。思わぬ”ファッションの原点”との出会い
- 帰国を余儀なくされた日々。それでも挑戦は止まらない
- 宮崎にかえって見つけた、新しい挑戦の形
- 次の挑戦へ。唯一無二の存在として世界に挑み続ける
- おわりに
セレクトショップ「YAOYA」について
坂田洸奨さんのことを書く前に、少しだけお店の紹介になります。
セレクトショップ「YAOYA」:2021年4月10日にオープン。
真っ白い外壁にワンポイントの白いタイル、おしゃれな木目調の扉が目印。(2025年10月時点)
店内には古着や小物など、遊び心をくすぐるアイテムが並んでいます。


場所:〒880-0805 宮崎県宮崎市橘通東3丁目2−20
マップ:https://maps.app.goo.gl/QKW6iaBV9L6tEh1h9
Instagram(YAOYA):https://www.instagram.com/yaoya_miyazaki/
Instagram(坂田さん個人):https://www.instagram.com/kosholllll/
取材の補足
実は坂田洸奨さんと私は小学校からの同級生です。そんなご縁もあり今回取材をさせていただくことになりました。取材ではタメ口になっていまい、そのままの語尾でお伝えします(笑)。
取材した内容を一言でお伝えすると、
『事実は小説よりも奇なり』
世界の荒波に揉まれながら、たくさんのご縁と実力で掴み取ってきた。
このストーリーはまさに唯一無二の大冒険です!
みやびとの最初のストーリーとして本当にぴったりな内容となりました。
このご縁にも本当に感謝しています。
では、実際にあった”挑戦のリアル”をご堪能ください。
1. 専門学校でつかんだ自信と、フランスで知った現実
「ではよろしくー。」
「よろしく。」
「早速なんだけど、スタイリストの専門学校からなぜいきなり海外に?」
「やっぱり、普通に日本でやっててもダメだなって思ってて。
人と違うことしないといけないって当時から思って、それで最初はフランスに行ったね。」
「フランス!? フランスに行くきっかけは何だったの?」
「学校の研修としてフランスの本場のファッションについて勉強しに行くことができたんだよね。」
「研修ってどんなことしたの?」
「シャネルの本店があるんだけど、実際に作ってるとこ見せてもらったりとか裏側を見学して、そこで、『うっわ、俺レベル低いな』ってなって。
本物みたら自分とのレベルが全然違うくて……」
「そうなんだ、レベルが違ったんやね。」
「そう、1週間くらい滞在したんやけど、帰国しても何回か行ったね。
4〜5回は行ってるかな。
アフリカにいるときも仕事でフランスに行ったりしてたから。
トータルで考えたら結構行ってるかも。」
「そんなに行ってるんだ。」
「それから日本に帰ってきて、就活の時も、もう全然日本に興味がないっていうか。
大手の外資系会社から内定はもらってたけど、全部蹴って、またフランスに行ったね。」
専門学校の時から人と違うことを探し求め、我武者羅に行動してフランスへ飛んだ坂田さん。
世界の本物を肌で感じたとき、初めて「自分がどれだけ小さな場所で戦っていたか」に気づいたという。
シャネルの工房を覗き、世界のレベルを目の当たりにした。
それは、日本にいては到達しない現実を知る体験であり、同時に”世界基準”の入り口に立った瞬間だった。
2. 語学勉強で訪れたセネガル。思わぬ”ファッションの原点”との出会い
「なぜフランスからセネガルに行くことになったの?」
「フランスの修行中に知り合った人から、紹介してもらった1つにセネガルがあって。」
「何の目的でセネガルに行ったの?」
「フランス語を勉強するためやね。
スタイリストとの話についていけなくて。
フランスは家賃とかすごく高いから生活が回らなくて。
セネガルは物価が安くてフランスの植民地だったからフランス語を話すしちょうどよくて。」
「そうなんだ。現地(セネガル)の生活費ってどんな感じだった?」
「平均月収でも、日本円で月2万円ぐらい」
「めっちゃ安い!日本の10分の1以下で生活できるんやね。
他に日本人ってセネガルにいるの?」
「50人ぐらいかな。大体みんな知り合いになる。飲み友が大使館の人だったり。」
「大使館の関係者と飲み友!?」
「あとは大使館のセキュリティ会社が日本の有名な企業でそこの人とか、東大の教授をしてる人とか、あと宇宙飛行士になりたかったけど、途中でやめて、宇宙の勉強してる人とか。なんか普通じゃ出会わない人ばかり(笑)。」
「すごい出会いやな(笑)。」
「ホームシックで日本帰りたいとはならなかったの?あっちの文化ってどんな感じ?」
「あー、それはなかったなぁ。当時はとにかく我武者羅やったね。
セネガルの文化は洋服を”買う”よりは”作る”という文化で、みんな布屋さんで買って、テイラーさん※に持っていって作ってもらうのが、セネガルの文化。
ズボンとかだと布代と制作費合わせて800円くらいで済むからね。めっちゃ安い。」
※服を作ってくれる人のこと
「へー!文化の違いがあって面白い!」
「だから、『こういう感じの服作りたい』っていうのをテイラーさんにフランス語で話して勉強してた。
セネガルにはプロのファッション関係者とか1人もいなくて、流行とか考えて作らせた服が、仕事で来てるフランス人とかに興味を持ってもらえるようになって。」
「なるほど。」
「仕事でセネガルに来ている人たちは、いろんな国から来ていて、それぞれが安定した生活基盤を持っていたんだ。
けれど、現地では娯楽も少なくて、みんながどこか『日常の楽しみ』を探しているような雰囲気があって。
そんな中、自分の勉強もかねて、試しに自分で仕立てたスーツを着て街を歩いてみたんだ。
そしたら、フランス人や大使館の関係者の方に『それ、素敵だね。どこで作ったの?』って声をかけてもらって。
『自分で作ったんですよ』と答えたら、みんなすごく興味を持ってくれてね。
その時に、服を通して人とつながる面白さを強く感じたんだ。」
「自分でスーツを作る人なんて今までいなかったんだから、それは興味持たれる。」
「そうそう。そして、セネガルで唯一の楽しみが、ファーマーズマーケット。
3ヶ月に1回、いろんなお土産とかコーヒーとか洋服とかを出店するマルシェみたいなものがあるんだけど、各国から旅行や仕事で来てる人たちがみんなそこに集まるんだよね。
一つの文化になってる。」
「なるほど。そこで何か買うのが唯一の楽しみなんだ。」
「そう、だからそこで服を出店してみようと思って、主催者をいろいろと調べて、実際に出店してみたらめっちゃ反響がよくて。
その中で『お店どこにあるの?』って聞かれることが増えていって。」
「なるほど。そこで自分でお店を持つことを考え始めたんだ。」
「そう。自分が作ったものを喜んでもらえる経験が続いて、“もっと多くの人に見てもらえる場所があったらいいな”って思うようになって。
それで、少しずつ形にしていったんだ。」
「そっか。それは自然な流れだな」
「うん。ただ、現地のテイラーさんにお願いしてたんだけど、
イメージした形に仕上がらないことも多くて。
こっちが伝えたデザインやサイズの指示通りに仕上げるのがなかなかうまくいかなくて。
彼らはもともとセネガルの伝統的な民族衣装を作ってきた人たちだから、
スーツのような洋服づくりの感覚とは少し違うんだよね。
だから、そういった部分の”共有”や”教育”が一番の課題だった。
縫製が少し雑になったり、人によって仕上がりのムラが出たりもするし、
日本のように納期をきっちり守る文化でもないから、『今日できるよ』って言われてても、
翌日になってもまだ手を動かしている、みたいなことも多くて(笑)。」
「まじか、、、それは日本人からしたらめっちゃギャップがあるね。」
「そう、それからようやく今のお店(YAOYA)くらいの大きさのお店を構えて、
ファーマーズマーケットによく来てくれた人とか、いろんなところで繋がった人を呼んでプレオープンを迎えたんよね。」
「お得意さん的な感じね。」
「そう、そしてプレオープン直後に、ものすごいことがあって。
知り合いに、めちゃでかいホテルを経営してるオーナーがいて、
プレオープン2日目くらいに『どうしてもお店開けて欲しい』ってその人から急に連絡がきて。
ちょうど休みにしてたし、知り合った日本人の家族と出かけてたし、どうしようかなって。」
「急な連絡やね。なんがあったの?」
「それが、お店に帰ってみたら、セネガルでは見たことない高級車がとまってんの。
周りにも野次馬的に人だかりができてて。
なんだなんだ?と近づいたら、ビヨンセのスタイリストの人で、
ナオミ・キャンベルとか、カニエ・ウェストの奥さんとかのスタイリストをしてる人。」
「すご、、、」
「その人のおじいちゃんがセネガル人で、じいちゃん家に帰省してて、それでホテルに泊まってたらしい。
そしてオーナーが俺のことを話したら興味持ってくれてお店まで来てくれたって感じ。
それから服を見せたんだけど、それがめっちゃ気に入ってくれて洋服全部買ってくれて、
プレオープン2日目にして服がなくなった。そこから1ヶ月休業(笑)。」
「すごすぎる。そしてめっちゃおもしろい(笑)。」
「もうそこから、みんな見てたし、セネガル中で噂になって。その時ちょうどオーダースーツもやり始めてて、各国の大使館とかにチラシを配ってたら、注文が殺到して。」
「それはそうだわ。しかもオーダースーツだからみんな欲しいよね。現地でスーツ作れないし、輸入となるとより高くつくし。」
「そうそう。そして、スタイリングができるから、
その人の肌の色とか、目の色、髪の色で、どういう色のシャツやジャケットを合わせればいいかもわかるし、そこも強みやったね。
あとは人の流れもあって、出会う人がどんどん変わっていく環境だった。
2〜3年で入れ替わりがあるから、常に新しい出会いが生まれる感じ。
めっちゃ鍛えられたわ。周りにも同じようなことをやる人はいたけど、俺は俺なりのスタイルを貫いてたねー。」
坂田さんがセネガルに渡ったのは、フランス語を学び、本場フランスのスタイリストのスキルや知識を学ぶためだった。
実践的にフランス語を学びながらセネガル独特の”服を買う”ではなく”服を作る”という文化の中に、彼は商売の原点を見つけていく。
市場の熱気、職人たちの手、フランス語で交わすやりとり。
気づけば彼は言葉を学びながら、より大きな財産を手に入れることになった。
たまたま知り合いから勧められた国が、いつの間にか彼をファッションデザイナーとして大きく成長させていった。
3. 帰国を余儀なくされた日々。それでも挑戦は止まらない
「その後も順調に進んでいけた?」
「いや、2店舗目を立ち上げようかって話をし出した時にコロナが始まり出して。だんだん工事が進むにつれてコロナが広がってきたって感じ。」
「セネガルから見てコロナはどんな感じだった?」
「基本的にアジア側だったから全く関係ないと思うじゃん?
でも、セネガルはフランス語が話せる富裕層とウォロフ語っていう母国語しか話せない貧困層に2極化して、
テレビとかも全てフランス語だからなんとなく聞き取った人が誤った情報を伝えていくんだよね。
その情報の中で”アジア人がコロナの菌を持ってる”って変な解釈が広まっちゃって。」
「えー、完全に標的にされてるやん。お店にも影響が出た?」
「うん。完成間近で嫌がらせを受けたりしたね。
スーパーとかに行っても、入って来るなって感じ。
朝お店のガラスが割られてたり、差別的な張り紙が貼ってあったり。」
「すごい被害やね。その時のコロナの影響は?」
「ちょうど店舗が完成したぐらいで、もう世界中で流行してたね。みんな帰国してしまって。
大使館の人たちとか、お店に弁護士とか税理士や不動産屋さん、市役所みたいなところもみんな帰るから、
もう服を買ってくれるお客さんが全くいない状態になってしまって。」
「大変やったんやね、、、そこで店を閉める判断を?」
「そう。2店舗目がオープンして多分10日ぐらいしか経ってない。」
「1店舗目とは全く違う感じになったんやね。最後お店はどうしたの?」
「それが、ありがたいことにみんな帰国するから、お土産として買いに来てくれて。
洋服は全部なくなった。だから商品は何もない状態で、家具とかはスタッフにあげたり、近所の人たちに渡して。
ほぼ在庫なく、全部スッキリさせて帰って来れた。」
急速に広がった不安と混乱の中で、坂田さんの店も例外ではなかった。
10日だけ開いた2店舗目。
街の人々が離れ、泣く泣く決断した「閉店」。
その声には悔しさよりも、どこか落ち着いた響きがあった。
「全部なくなったけど、やれることは全てやった」と彼は言った。
終わりではなく、“次へつなぐ”選択。
ここでは書ききれないが、しっかりとスタッフのその後のことも考えて、
一人一人に対応して全て綺麗にしてセネガルを後にした。
4. 宮崎にかえって見つけた、新しい挑戦の形
「帰国後は、どんな生活を送っていましたか?」
「とりあえず宮崎で少しゆっくりしようと思って帰ってきたんだけど、家族からの紹介で、新しい縁がつながっていって。
その中で、音楽やファッションの表現に関わる人たちと出会う機会があって。」
「なるほど。その出会いが今の活動につながっていくんやね。」
「そうそう。最初は撮影を手伝ったりしてたら、衣装の相談を受けるようになって。
それがきっかけで宮崎でもスタイリストとして仕事ができるようになっていったね。」
「ほんとに自然な流れで仕事になったんやね。」
「うん。週末はイベントやライブの現場に関わって、平日は自分たちのスタイルを形にしていく時間にして。」
「それでYAOYAが始まったんだ」


坂田さんが宮崎に戻ったのは、
「一度立ち止まって考えたかったから」だという。
でも、地元での暮らしは”終わり”ではなく”次の始まり”になった。
兄弟からの紹介で出会った仲間たち。
グッズ撮影をきっかけに再びスタイリストとして動き出し、
やがてアパレルショップ「YAOYA」のデザイナーに。
派手な計画ではなく、日々の延長にある挑戦。
宮崎という場所で、自分のリズムを取り戻していった。
5. 次の挑戦へ。唯一無二の存在として世界に挑み続ける
「これまで本当に平坦じゃない道を歩んできたと思うんだけど、これからどうしていきたいとかある?」
「そうだね。これまでにもニューヨークとか海外での展示やポップアップを経験する機会があって、 自分が作ったものを外の世界に持っていくことの面白さを実感したんだ。
それがちょうど2年前くらい、コロナが明けて少し経った頃だったかな。」
「すごい。どういう流れでニューヨークで展示会が実現したの?」
「国内で出会った人との縁がきっかけやったね。
自分の作った服を見て”これ面白いね”って言ってもらえて、 そのつながりの中で東京や横浜、福岡といろんな場所で展示の機会をもらうことができた。
そうした流れの延長で、“じゃあ次は海外でもやってみよう”って話になって。 挑戦するなら、やっぱりファッションの中心地でやってみたくてね。」
「なるほど。セネガルっていう文化の違う場所から始まって、今度はファッションの中心地でも自分を試してきたんやね。」
「そうそう、だから、面白さでいうとなかなかこれらを超えることができてないなって。」
「なるほど。それぞれの環境が全く異なる場所での挑戦、、面白い!
じゃあ、質問なんだけど、こんな人と繋がりたいなとかある?」
「服が作れる人が欲しいな。弟子入りしてでも一緒に服作りたいって面白いやつ。
今はもうキャパがいっぱいだし。そのせいで断ってるところもあって申し訳ないから。」
「なるほど、あと3人くらい?右腕的な人ができればいいんやね。」
「そうやね。あと、宮崎のファッション業界でこんな経験や結果がある人って本当にいないから、夢を持ってる人たちの先頭を走ってるって感覚があって。
これで俺が結果出せなかったらダメだよねっていう、いい意味で自分へのプレッシャーもあるよね。」
「なるほどね。結果出し続けるって大変なこともあるけど、めっちゃかっこいいね。
いろんな場所でいろんな人と会ってると思うけど、「俺のためにこんな服つくってくれ」、みたいな依頼ってあるの?」
「あるけど、そういうのは全部断ってる。もう、俺が作ったものを着てください、って感じにしてる。
その人の要望を聞いていくと、ぐちゃってなるよね、俺の価値観というか。
何でも屋さんになってしまうから。あなたにはこの服が合うっていうのがわかるから、 そこは俺の価値観でやらせてもらってる。
例えばアーティストさんであれば、ミュージックビデオの構成とか音楽とかを聞かせてもらって、そこからイメージしたりするよ。」
「プロとして曲げられないものがあるんやね。
じゃあ最後に、過去の自分に何か言いたいことってある?」
「今まで我武者羅にやってきたから、やってきたことに後悔はないね。
だからこそ、今の方がやばいなって。あの時は後先考えずに突っ走って、フランス語も話せないままに1人で行ったりしたけど、今同じことやれと言われると躊躇するよね。
だから、あの時はめっちゃ良かった。もし今、スタイリスト目指してるけどショップ店員とかで燻ってる人がいれば、『もっと熱いものあるんじゃないの?いいの?そこに留まってて。』って問いたい。
あの頃行動してたから今があるよね。だからこそ、自分の今に危機感を持ってる。
宮崎は良くも悪くも居心地がいいからね。」
彼の挑戦は、いつも自然な流れの中にある。
誰かに仕掛けられたチャンスではなく、出会いの延長から”次”が生まれていく。
ニューヨークでのポップアップも、東京・横浜・福岡と続けてきた経験の先にあった。
自分で作ってきた服を、世界のストリートに乗せる。
坂田さんの挑戦は、派手ではないが、確かに広がっている。
「また冬にポップアップやる予定なんよ」
そう笑う声の奥に、“行動し続ける人”の静かな熱があった。
6. おわりに
専門学校を卒業した後に待っていた世界とのギャップ。
フランスからセネガルという、日本にいたらまず考えつかない未知への挑戦。
そこでつかんだチャンスと、人とので出会い。
しかし、コロナという”自然災害”により途中帰国……。
日本に戻ってからの新たな出会いと挑戦。
我武者羅に”人と違うこと”を選択してきたからこそ、
自分の強みを確立し、
次の挑戦、チャンスためにエネルギーを蓄えています。
これだけ挑戦したからこそ「今に危険を感じている」という言葉も、
また新たな挑戦を欲している証拠なのではないかと、
こちらまでワクワクさせてもらいました。
今、ファッションデザイナーやスタイリストとして世界で挑戦したい方、
勇気を持って繋がりを作りましょう。
私でよければ、少しだけお力になります。
そして、必ずその挑戦はあなたを成長させてくれます。
今後も坂田さんの活躍を応援していきます!
取材を通して出会ったご縁と、
読者のみなさんに支えられて、
みやびともここから挑戦をスタートさせます。
今が挑戦する絶好のチャンス。
今後も、引き続きよろしくお願いします!